読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

衝撃 早期教育の天才 大正に書かれた本 ビッテ式 名著 早く出会いたかった

http://park19.wakwak.com/~yoshimo/moto.63.html

こちらのウェブサイトから一部抜粋

 

§3 能力涵養の基本 

 能力涵養の第一は、言語能力の涵養である。
 目の前のものを、言語でくりかえしくりかえし目と耳を通して涵養する。
 最初は名詞であり、形容詞や動詞その他も含めていく。
 これらは目覚めている全ての生活場面で活用する。
 言語音声と事物名の定着とともに、言語音声と事物名と文字の定着をはかるために「カード法」を用いるとよい。
 発声できなくても、すべて判る。
 引き続いて、お話の世界に進める。
 正しい言葉遣いと、正確な発音で対処する。幼児語は使わない。
 発声できなくても、すべて判る。
 発声できるようになったら、子どもにくりかえさせる。
 子どもは自分と、自分いがいのものの関連がわかりはじめると、喜んでその方向につきすすむ。子どもの驚くほどのエネルギーをわかってやること。
 一つ一つの確かめと励ましのため、褒めてやって、階段を登っていくような区切りをつけてあげる。
 子どもの様子をみて、すこしずつ程度をあげた会話をしてあげることが、能力涵養にとって大切な心得である。
 言語は、あらゆる知識をインプットする道具だから、能力涵養の第一は、言語能力の涵養ということになる。
 第二第三・・・の言語能力の涵養も同時にすすめることがよい。

§4 三歳半ころから読書を教えた 

 西洋の文字は、僅か二十六文字だからわけがないが、漢字、平仮名、片仮名まじりの日本言語の習得にはちがう手立てがいる。この方法には三石由起子の方法がよいと思う。
 「強いて教えるな」というのが、ヴィッテの大方針であった。
 だから、まず子どもが興味をもつように仕向ける。そして子どもが興味をもってから、初めて教える。
 ヴィッテの外国語の教え方……外国語は覚えるより慣れよ、という主義をとった。母国語で文法を教える親はひとりもいないと同様である。
 子どもは同じ話を何回聞いても飽きないものである。
 この秘密を心得て、外国語を教えるとき、同じ話をいろいろな国語で読ませた。例えばイソップの寓話を、ドイツ語、フランス語、ラテン語ギリシャ語でも読ませるという方法をとった。そしてこの方法は非常に効果があった。

§5 全方位の教育 

 決して机にすわっているばかりの生活ではなく、どんな少年よりも机にむかうことは少なかった。彼は余裕綽々として盛んに遊び盛んに運動し、極めて健康快活な少年であった。
 外国語のほかに、植物学、動物学、物理学、数学などやすやすと学んだ。
 ヴィッテが三、四歳になると、父は毎日彼を連れて、かならず一、二時間ずつ散歩した。しかしその散歩は、ただぶらぶら歩くのでなく、絶えずヴィッテと話をしながら歩くのであった。例えば野花を摘んでそれを解剖し、これは何それは何というふうに説明して聞かせる。あるいは小虫を捕らえて、それに関していろいろな知識を与える。このようにして石ころ一つ、草一本といえども話の材料になるのであった。教え方は詰め込み主義ではなく、ヴィッテに興味を起こさせ、それに応じて教えていった。
 父の教育の秘訣は、子どもに興味と疑問をおこさせ、それに答えることだった。子どもがいろいろ尋ねたときには、わかる言葉でよく説明した。自分で知らない時には、「これはお父さんも知らない」と正直に答え、二人で書物をみるとか、図書館にいくとかして研究した。このように、正確合理的に知識を求める精神を鼓吹し、不合理やいい加減ということを極力排斥した。

§6 教育の底流は見聞を広めること 

 ヴィッテの父は、教育上大切なことは、学問を詰め込みことよりもその見聞を広めることだ、と考えていた。
 例えば、大きい建物をみれば、あれは何々といって、何々するところだと説明して聞かせる。また古城などをみれば、あれは昔これこれだと、その歴史を話して聞かせた。二歳のときから、買い物でも音楽会でも劇場でもどこにでも連れて行った。暇さえあれば、博物館、美術館、動物園、植物園等はもちろん、工場でも鉱山でも、病院でも養育園でも、あらゆる所を訪問して、彼の見聞を広くした。
 これらの訪問から帰ると、ヴィッテに見たことを詳しく話させた。或いは母に報告させた。だから、ヴィッテは見物中よく注意してものを観察し、父の説明や案内者の説明を、よく注意して聞くのが常であった。
 ヴィッテの父は、ヴィッテの知識欲や究理心を満足させるためには、金や労力を決して惜しまなかった。

§7 玩具とおもちゃ 

 ヴィッテの父は、ヴィッテのためにいわゆる玩具はほとんど買わなかった。「子どもは玩具によって何物もおぼえない。子どもに玩具をもたせて放っておくのは誤りである」とは彼の持論であった。
 本を読んだり物を観察する時間を考えれば、暇をつぶす必要はなかった。玩具をもたせて放っておけば、子どもは退屈して不機嫌になり壊したり泣いたりするのがオチである。子どもは一度その玩具が何であるか判ってしまえば、退屈してしまい用はないのである。玩具によってえた投げる癖や破壊の癖は、ときにはその人に一生つきまとうといっている。
 ヴィッテの家の庭には、ヴィッテのために作られた大きい遊び場があった。それは六十糎の深さに砂利を敷いて、周囲にいろいろな草花や樹木を植えたものであった。ヴィッテはここで、花を解剖したり虫を捕らえたりして自然に親しんだ。ヴィッテの父は子どもを自然に親しませることを、最大の教育と考えていた。
 ヴィッテは、おもちゃの台所用具を一式持っていた。子どもはたいてい大人のすることを真似たがるものであり、うまく利用すれば大いに子どもの知識を増すことができると着目し、一式揃えたのである。ヴィッテの母は台所の仕事をしながら、ヴィッテの尋ねることは何でも説明して聞かせた。
 ヴィッテの遊びには、芝居的なものがたくさんあった。ヴィッテの母はこんなことを言っている。
 ある時はカールが母になり、私が子どもになります。そうするとカールは私にいろいろな命令を下します。それを私は、わざとよくやらなかったり全くやらなかったりします。そうしてもしカールが、それに気がつかずにいれば、母の資格を失います。しかし、たいていそれを見つけて、まじめな顔をして私に意見を加えます。そこで私は、今後は気をつけますから、どうぞごめんください、などと言っておいて、また禁じられたことをします。するとカールは、私がカールを叱るとき言うようなことを言って私を叱ります。
 またある時は、カールが先生になり、私が生徒になります。そうして私は、カールがよくやる失敗をわざといたします。するとカールはそれを見つけて私を叱ります。これらの遊びは、カールによくやる失敗を避けさせる効果があります。
 またヴィッテの父は、いわゆる積み木を作ってやった。ヴィッテはそれを使って家を建てたり、教会や塔を建てたり、橋や城を作ったりした。モンテッソーリが言っているように、遊びをとおして彼の五感を発達させることに努めた。
 息子はわずかなおもちゃきりしか持っていないが、どんなに冬が長くても、決して退屈しなかった。彼はそのわずかなおもちゃを使って、常に快活で楽しく暮らしていた。

§8 食べ過ぎは、健康にも頭のためにも害になる 

§9 勉強の時間と遊びの時間は、厳格に区別していた 

 実は彼の教育には、いわゆる勉強の時間と遊びの時間との区別がなく、遊びや散歩や食事の時間にも、注意してヴィッテの知識を広めることに努めたのである。彼はヴィッテが六歳の時からフランス語を教えた。ここに言う勉強とはこういう課業をいうのである。
 ヴィッテの父はヴィッテの教育のために、非常に多くの時間を取られたろうと考えるかもしれないが、実は決してそうではなかった。彼は毎日、一、二時間だけこのために費やしただけであった。彼はヴィッテを教育して、子どもがもっている能力の発現力が、いかに大きいかをはじめて悟ったと書いている。彼はヴィッテを十七歳か十八歳で大学に入学させて、ほかの生徒にひけをとらないようにしようと思って教育したそうである。それなのに、こんなになったのは、全くの意外であって、これは全くこどもの発現力の偉大なることによる、と言っている。